会社設立への想い (代表 長島由佳)
2015年3月13日、合同会社ポットラックフィールド里美を
地域で共に様々な活動を企画・実践してきた仲間、岡崎と共に立ち上げました。
会社立ち上げに当たり、その時の想いを綴ったものを
ここにも記しておきたいと思います。
少々長くなりますが、お付き合いいただければ幸いです。
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2014年3月に地域おこし協力隊の任期を終えてからの私は、
「一住民」として里美で家と畑を借りて、
観光物産協会で民泊のお仕事をする傍ら、
福島県の棚倉町で協力隊のアドバイザーをさせていただいたり、
声をかけてくださった大学やセミナーなどで講演をさせていただいたり、
BSフジのテレビに出演させていただいたり、
協力隊時代に里美支部3人で書いていた記事を文庫本にしていただいたり、
今日までにも協力隊時代で行ってきたことの続きを
ゆっくりとですが、させていただいてきました。
(常陸太田市地域おこし協力隊OGルリエ里美支部の3人で)
(『地方とわたしとつながる世界』 発行:ゆたり出版)
http://www.hontoyutari.com/project/entry/post-50/
上記URLより購入できます。ご興味のある方は、是非!
協力隊だった3年間で行った様々な活動は、
総括してみると、
「地域の方々が大切に守ってきたこの里美を未来に繋げていく為に、
地域にすでにある宝物(人・モノ・コト)を掘り起し、
価値の再認識を地域の方々と共有し、
その価値を守り、より多くの人に伝えて、
里美地区に住んでいてよかった!という想いを
地域の中でじわじわと育むことを目指して、
様々な活動を通してカタチにしていく」
ということでした。
前のブログでも書きましたが、
その3年間が終わったあとの、この1年は、次のステップに進むための1年だったな〜と今、振り返っています。
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心が平和になる手の中におさまる暮らしと、
魂が喜ぶ仕事をし続けることができる環境。
それがここ里美にあったから、私はこれからも里美に住み続けたい。
そして何より、シンプルに、里美が大好きだから、もっとこの地に関わり続けたい。
そう思って、今度は2年後、5年後、10年後の目標を立てつつ、
明日からも里美に住みます。
そして、この地でシゴトをして、
これからの未来に、さらにチャレンジを重ねていきます。
大好きな里美で、大好きな人たちと、平和に、幸せに、豊かに暮らしていけるように。
「攻めることで、守る」
「守るために、攻める」
一住民として、これを、実行していきます。
(『5年目の春』より)
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3年間の任期終了後の私の次のステップ。
「攻めることで、守る」
「守るために、攻める」
とは、
「社会の課題に積極的に向き合い、前のめりに行動し続ける(=攻める)ことで、地域(里美)の大切な伝統・文化・土地を守り、伝え、誇りと幸福を感じながら生きていく人を増やす(=守る)」
「地域(里美)の大切な伝統・文化・土地を守り、伝え、地域(里美)がこの先も住んでいる人が望ましい形でずっと続いていくため(=守る)に、前のめりに行動し続ける(=攻める)」
ということです。
どのように、それを実行するのか?
私がそれを実行するために、
今の里美に必要なこと。
今の自分だからできること。
それは、
“里美で会社をつくる”ことでした。
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「この美しい里を、ずっと守っていきたい。本当に価値があると感じるものを、ちゃんと未来に残していきたい。家族のように大切な地域の仲間と一緒に、働き、暮らしていきたい」。
里美に暮らすようになって気付いた、自分の中の大切にしたい価値観を表現し、それを地域内外の多くの人と共有し、想いをカタチにしていく。
そのために、
2015年3月13日(サトミの日!)、
協力隊時代から共に活動していた地域の仲間と、
『合同会社PotLuck Field里美』を設立しました。
地域に暮らす人それぞれの得意を持ち寄り(PotLuck=持ち寄る)、
里美というフィールド(Field=場、分野)で
里美の未来を守るために攻める、という想いを込めました。
PotLuckのLが大文字なのは、里美で暮らす人、働く人、関わるみんな、
そして自分にとって「幸せ」という言葉がキーワードになると思ったから。
里美の人と、幸せに暮らし、この土地を未来につないでいく。
そんな、暮らしと仕事の関係性が限りなくイコールに近づき、
等身大のまるごとの自分で生きていくスタイルを追求したいな、
そう思っています。
『地方とわたしとつながる世界』 発行:ゆたり出版
http://hontoyutari.com/project/project02_01.html
長島寄稿文より抜粋
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なぜ、“会社”なのか?
やりたいことをやるのであれば、
個人で活動していけばいいのではないか?
里美の外から地域を応援するという形もあるのではないか?
形態も、NPOでも、任意団体でも、社団法人でも、いいのではないか?
後から考えると、そういう選択肢もあるよなぁ、と思います。
でも、たった3,4年だけど、
里美に住んで、
この地域が大好きになって、
暮らしの中で様々な課題を実感として手に取るように日々感じていて、
例えば、
「また今日もお葬式だったよ。このままじゃ里美の人間がいなくなっちまう!」
「小学校が合併だって。寂しくなるねぇ」
「あそこの田んぼはもう耕すのを止めたんだ。作っても一銭にもならないし、むしろ赤字だからねぇ」
よく聞こえてくる地域の人のそんな声。
(もちろんいろんな文脈の中の話で、いろんな意味合いが含まれているので
一概には言えませんし、現代の地域や家庭の様々な状況に紐づく多面的な言葉ですが。)
その言葉の裏に込められている、地域の人の想い。
「なんとかしなきゃ、どんどん人が減っちゃう!何とかしたい。もっと若い人が増える場所にしないと・・・・」
「子どもがどんどん減ってしまって、寂しい。このままだと近いうちに子どもの数もゼロになってしまう。どうしたらいいんだろう。何か手を打たないと・・・・」
「先祖代々耕してきたこの大切な土地。本当は今年も耕したい。自分の子ども、孫にもちゃんと引き継いでいきたい。高齢で身体も思うように利かなくなってきているが、耕さない、という決断は、できることならしたくない・・・」
そんな想いを、ずっと感じてきました。
協力隊のときは、
与えられた立場で、
“外部者”の役割を精いっぱいこなすことにいっぱいいっぱいで、
経験もなく手探りで、
失敗も沢山して迷惑も沢山掛けながら、
限られた3年という時間の中で
様々な関係機関との横と縦のつながりを考えながら
活動していました。
もちろん、協力隊だったからこそさせてもらえたこと、できたこと、
沢山ありました。
逆に、協力隊だったからこそ、できなかったこと、しなかったことも
沢山ありました。
そして3年が過ぎ、
私は一住民になりました。
協力隊の任期は3年ですが、それは地域の長い歴史から見ればたったの3年であり、3年で地域の状況が著しく好転したわけでもなく、なにか良い変化が数字として表れているわけでもない。
もちろんそういう状況を目指して3年間目いっぱい活動してきましたが、
それらは協力隊という非常に限定的な役割と立場の範疇を超え得なかったし、
自分の実力も全く届かなくて歯がゆい思いを沢山しました。
その期間が終わり、
ただの市民、一住民となった私は、
協力隊という殻を脱皮したからこそ
失ったもの、できなくなったことが沢山ありました。
でも、
逆に、手に入れたもの、できるようになったことも格段に増えました。
(秋ごろ、稲刈りを待つ里美の美しい風景)
今の立場になって、
私が次に挑戦したいこと。
それは、ごくごくシンプルなものです。
「このおばあちゃんの味がずっと続くといいな」
「この美しい里山がずっと残っていくといいな」
「これからも子どもたちの声が聞こえる場所だといいな」
「みんなが幸せに生きていける場所になるといいな」
こういうシンプルな想いを、実際に、きちんとカタチに表して、実現していくこと。
今ならまだ、想いをカタチにできるチャンスが、残っていると思っています。
里美は頑張っている地域の人がまだまだ沢山いるし、
里山も「きれい」だと感じるし、
コミュニティの機能は現代のライフスタイルに合わせながら残っているし、
子どもの数も減ってはいるけど保育園・幼稚園・小学校・中学校は地域の中にあるし、
林業や農業を継ぐために帰ってくる娘息子がいるし、
集まりに行けば必ず地域の未来の話になる。
でも。
地域の現状は待ったなしです。
きっと多くの人が思っているほど、時間はありません。
もっともっと、結果にコミットしたいのです。
「子どもの数が増えたね」
「あの休耕田、最近また耕し始まったね」
「川沿いの竹林、荒れ果てていたけど、今では気持ちのいい風景になったね」
「あそこのおうち、息子さん帰ってきたんだって。まだ20代だって。里美で仕事をするんだってよ」
「あのおばあさんも、あそこのじいさんも、里美に暮らして幸せだった。これ以上の場所は他にないって、みんな言っているよ」
そんな声が、いつかきちんと、聴こえてくるように。
もちろんそこを目指していく上での過程も、とっても大切です。
協力隊の3年間、そして会社をつくるまでの1年間も、ある意味過程だったのかなと思っています。
でも、やはりこの地に暮らすからこそ、
もっともっと、もっともっと、結果にコミットしたいのです。
これが、一住民、無期限の存在になった、私の次のチャレンジです。
一緒に会社をつくろう!と言ってくれた仲間と、
そういう私たちを受け入れてくれる里美という地域の、私たちの、
未来へのチャレンジです。
そのために、会社をつくりました。
今の里美にとって、これからそういう未来を実現していく為に、受け皿となる組織が必要だと感じたからです。
様々なことを実行していく為に、地域側に受け皿的役割の組織が存在していることで、里美としてできることが格段に増えます。
そこで雇用が生まれ、きちんと成り立つということを実証できたら、
また里美で働こう!暮らそう!という人も、増えるかもしれません。
それは、私にとってはごく自然の流れでした。
もちろん「会社をつくる」ことが目的ではなく、それはあくまで手段です。
なんだかとても、身が引き締まる思いで、
会社はつくったけど、
まだそれだけで食べていける状態ではないし、
事業の整理をしつつこれからのことも考える必要があるし、
態勢を整えるためにやるべきことが山積みだし。
でも、
自分の中に「こうしたい!」「これやりたい!」「次はこれ!」という想いがあり、
「今日も里美に暮らせてよかった」
という想いがあれば、
これから辛いことや悲しいことがあったときも、
また自分の原点に立ち返りながら、
時に立ち止まりながら、
自分の幸福の感度(ここ、すごく重要!)を大事にしながら
里美で働くコトができれば、
きっと少しずつだけど、前に進んでいけるのではないかと思っています。
まだスタートラインにぎりぎり立ったかな?!という感じ。
里美と共に、生きていく会社に。
これからどんなふうに育てていけるかな。
ここからの1年はまた、
慌ただしく過ぎ去っていきそうです。
一緒にこのチャレンジをしてくれる、
地域の仲間に、感謝をこめて。
2015年5月9日
合同会社PotLuckField里美
代表 長島 由佳